「病は気から」という言葉を、昔から聞いたことがあると思います。
病気は、気持ち次第で良くもなれば、悪くもなるものです。
例えば、名医と言われる医者たちが患者を治療する時に、不思議な「薬」を使うことがあります。
それは、「プラシーボ(プラセボ)」と呼ばれている「ニセ薬」です。これは、薬ではなく、実は小麦粉など人体に害のないただの粉なのです。
元来、プラシーボは、新薬の有効性を確かめる臨床試験の時に用いられます。
被験者(患者)を二つのグループに分け、一方には本物の新薬を与え、もう片方にはプラシーボを与えて、両者の症状の改善具合を比較します。
その結果、本物の薬投与のグループに著しい効果が表われたのに対し、プラシーボ投与のグループにはほとんど効果が見られなかった、とします。
この場合、両者の効果の差が大きいほど、その新薬の有効性は「高い」と評価されるのです。
もし、両者とも効果は高く、差があまりない、といった場合は、患者の症状が改善したのは、たまたま新薬以外の偶然の要素が加わって、患者の症状が改善したかも知れないので、必ずしも新薬の効果とは断言できません。
従って、新薬の有効性は不確かなものと評価され、治療薬としては承認されないのです。
■信ずれば、ニセ薬も本物の薬と同じ効き目を発揮することも。
ところが、医者が自信を持ってこの「ニセ薬」を患者に与えると、びっくりするほど良く効く場合があります。時には、強い薬のように副作用を引き起こすことさえあるそうです。
このケースは、心療内科で時々応用されることでもありますが、肉体的には本当にどこも悪くないのに、不調を訴える患者から、「せめて薬の処方だけでも」と強く懇願されることがあります。
「どこも悪くないから、注射や薬は必要ありませんよ」と諭しても、「それは、何をしても治る見込みがないということですか?」と、かえって患者の不安は増すばかり・・・
このような時に、医者は、ただの粉を「よく効く薬」と偽って、患者に服用させます。
すると、どうでしょう。患者は、立ち所に元気になる・・・といったケースは、決して珍しくはありません。
まさに、「病は気から」という如く、体の不調を感じたのは、単に精神的なものだった、というわけです。
ただの粉が薬の働きをするということは、実は医者が患者の考えを変えたからです。
このことは、病気は肉体に原因があって起こるだけではなく、心の状態によって起こることもあるという、何よりの証拠と言えましょう。
■人は、自分が考えたとおりの人間になる
4000年以上も前に、パピルスの巻物にこう書かれています。「人は自分が考えたとおりの人間になる」。
これは、40世紀を経た今も、少しも変わらない真理です。
ウィリアム・ジェームズというアメリカの有名な哲学者・心理学者は、「私たちの世代の最大の発見は、人間は心の持ち方を見直すことによって、人生も変えられるということがわかったことです。」と言っています。
この言葉は、「自分の考えこそが、自分の人生と運命を形づくるのだ」ということを意味しています。
「人間の成功も失敗も、人生の全ては、私たち自身の考え方が生み出したのである」とも言われています。
心が創り出す精神力とエネルギーには、誠に驚くべきものがあります。
例えば、ある農家の主(あるじ)がトラクターの下敷きになってしまったのを見てびっくりした妻は、このトラクターを両手で持ち上げて、どかしてしまいました。
後で、このトラクターを動かすのに、3人の男手がかかったそうです。
また、12歳の少年が、父親の足の上に倒れ落ちた大木を1人で持ち上げて、どかしました。
この大木は、実は大人が4人もかかってやっと片付けられるほどのものだったのです。
これらは、信じられないかも知れませんが、いずれも実際に起きた出来事なのです。極端な例だと思われるかも知れません。
しかし、ある特別な状況の中で、常識では考えられないような力が突然発揮されたという話を、私たちも耳にしたり体験したことがありませんか。いわゆる「火事場の馬鹿力」と言われるものです。
前述の例のような場合、その妻や少年に何が起こったのでしょうか?
体が急に突然大きくなったり、筋肉が急に強くなったわけでは、もちろんありません。心に変化が起こったのです。
心は、どうしてもやらなければならない目標を不意に与えられると、それが自分にできるだろうかと疑ったり、能力があるだろうかと心配する間もなく、すぐ行動に移ります。
そして、信じられないような驚くべき力を発揮するのです。
このように、私たちの心の中には、素晴らしい能力と大きなエネルギー、それに豊かな創造力が宿されています。
しかも、この力は、私たち誰もが持っていて、誰でも活かすことができるもの、いわゆる「潜在能力」と言われるものなのです。
■私たちは、誰でも「新しい心構え」を発見できる!
しかし、このことに気づいている人は、意外にそれほど多くはいないようです。
もし、この気づいていない心の力のほんの一部でも活用すれば、私たちは今以上に充実した人生を送ることができるでしょう。
こうした心の不思議な力の存在を理解しようとしない人たちは、絶えず欲求不満に陥ったり、不平不満の人生を過ごすことになりかねません。
逆に、この力を活かそうと努力する人たちは、やる氣や健康、心の安らぎ、豊かさに恵まれるでしょう。
では、どうすれば、この心の力を充分に発揮することができるでしょうか?
それは、今までの物の見方・考え方を見直し、新しい心構えを発見すればよいのです。
そして、自分自身を見つめ直してみるのです。
私たちの今までの人生は、自分の今までの考え方やその習慣、つまり心構えによって作られてきたのです。
これからの人生は、これからの新しい心構えの発見によって作られるのです。
人は、自分が考えたとおりの人間になる、すなわち自分が自分自身を創るのです。
人間の心は、庭のように、良く耕せば花や木が育ち、手入れを怠れば雑草がはびこってしまいます。
自分の心をよく見つめ、その心構えが消極的なものか、積極的なものかを見極めることが大切です。
そして、庭師が雑草を取り除くように、自分の心の庭から消極的な考えを取り除いて、積極的な考えを選び取って、どんどん育てていきましょう。
そうすれば、私たちの人生を実り豊かで、充実したものにすることができるはずです。